2012年4月9日月曜日

YUTAKA&SAWAの世界一周旅行日記 “What A Wonderful World!"


(いやぁ~、またまた更新を1カ月以上もサボってしまいました…。
ほんの少しでも、楽しみにしていただいている方々には、本当に申し訳ありませんです。)

では早速世界一周旅行の旅の続きを。
もうほとんど1年前のことになってしまった…。

今回もまた長いので、お時間あるときに。

もはやブログっていうより、小学生の夏休みの日記みたいなものですので、あしからず…。

2009年10月7日~10日の出来事

シチリア島のタオルミーナのバスターミナルから約1時間半で、カターニャの空港に到着。
ここからアリタリア航空でローマへと向かいます。

アリタリア航空の飛行機は緑色のシートがきれいで、なかなか快適な機内。

機内からは、再びシチリア島のエトナ山の雄大な姿を見ることができました。

「シチリア~!また来るよ~!」と心の中でシチリア島へ別れを告げると、
飛行機は約1時間ほどで、無事にローマ・フィウミチーノ国際空港に到着。

しかしこのあと、機内に預けた荷物がちっとも出てこないという、なんともイタリアらしいハプニングが…。

でもね、イタリアに来て2週間ぐらい経っていたし、そういうこともむしろ、
「イタリアだからしょうがないねぇ」 なんて寛大な気持ちになっている筈だったんだけど、
この後一気にフィレンツェまで行く予定だったので、とにかく焦ったし、やっぱりイライラしてた。笑。

やっとこ1時間ぐらいして荷物が出てきて、それを受け取り、大急ぎで電車でローマ・テルミニ駅へ向かい、
そこからフィレンツェ行きの電車の切符を買って電車に乗り込みました。

この電車もなかなか快適だったのだけれど、夕刻ということもあり、ビジネスマンでけっこう混んでいた。

…にもかかわらず、電車内で当たり前のように、みなさん携帯電話で話をしてらっしゃる。
しかもイタリア人らしさ全開で、とにかく声もジェスチャーもやたらデカいのなんのって!

しかし、他の乗客の皆さんは、別に誰も気にする風でもないし、注意するわけでもない。
こういう慣習は日本人としては、ちょっとびっくりしてしまう。

実はこれって、他のどの国でも普通に見る光景だったのです。
携帯電話の通話が電車内で禁止されているのって、もしかしたら日本だけなの?って思ってしまった。

なので、その声を聞かないよう、i-podの音量大きめで音楽を聴きながら気を紛らわせていたら、
今度はSAWAさんに「音がヘッドフォンから漏れてうるさ~い」と怒られてしまいました。とほほ。

そんなこんなで、約1時間40分ほどで、フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ駅にやっと到着!
この日の移動はなかなか過酷でしたが、憧れのフィレンツェに着いた喜びで疲れも吹っ飛びました!

駅から歩いてすぐの宿、HOTEL CITY FLORENCEへ到着。ここはとにかく立地が最高でした!
外観は古ボケた感じだったけど、内部はクラシック調の洒落た素敵な宿でした。


トップ·サウンドAPS østerbrogade

 
 

フィレンツェはトスカーナ州の州都であり、人口約36万人の街。
古代ローマ時代に花の女神の街として「フロレンティア(Florentia)」と名付けたことが語源になっているそう。
(ちなみに英語ではフィレンツェのことを「フローレンス(Florence)」と言うため、
英語圏の人に「フィレンツェ」って言っても通じません。)

フィレンツェの街並みは「屋根のない博物館」とも言われるくらい、
歴史的にみても稀有な建築物や彫刻などの芸術作品が今でもたくさん残っている。

1982年に「フィレンツェ歴史地区」としてユネスコの世界文化遺産にも登録されています。

この街の歴史は、ルネッサンス期に銀行家、政治家として台頭し、
後にトスカーナ大公国の君主となったメディチ家(Medici)一族と共にあり、
フィレンツェの繁栄はこのメディチ家があったからこそなんだそう。
今でも街の至る所にメディチ家ゆかりの場所が残っています。

その財力でレオナルド・ダ・ヴィンチ、ボッティチェッリ、ミケランジェロなどの多数の偉大な芸術家を
パトロンとして支援し、ルネッサンスの文化を育てる上で大きな役割を果たしたことでも知られています。

世界的に有名な観光地ではありますが、訪れた友人・知人のほとんどの方々が、この街を絶賛していたので、
この旅でなぜそんなに素晴らしい街なのかを、どうしてもこの目で確かめてみたかったのです。

到着した翌日、早速この街の散策へ出かけました。

宿の前の道を歩いて行くとすぐにサン・ロレンツォ教会前にはサン・ロレンツォ広場があり、
ここからアリエント通りにかけてたくさんの露店が出ています。

フィレンツェの特産物として有名な革製品や、衣類などがたくさん売られていました。

SAWAさん、すかさず革バッグを物色!

驚いたことにお店のみなさん、僕らが日本人とわかると、けっこう流暢な日本語で話しかけてくる。
いかにこの地に日本人観光客が多く訪れるのかを思い知らされます。

サン・ロレンツォ教会を通り過ぎ、

しばらく歩いていると、なにやらものすごい装飾の大きな建物が見えてきた!

近づくと、圧倒的な姿の建造物にため息が!
嗚呼!これがフィレンツェのシンボル、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂だったのだ!


なぜダウン低い、バックの男性

あまりのスケールの大きさと、美しいファサードを目の当たりにすると、しばし言葉を失いました…。
ちょっと涙が出ました。実に140年以上の歳月をかけて建設された大聖堂。

広場を挟んで反対側へ行くと、ドゥオーモのクーポラが!

石積み建築のドームとしては世界最大のものなんだそう。
感動で震え、ここに来れたことを心から感謝しました。

それにしてもフィレンツェの街は、通り1本1本にそれぞれに違う趣があって素敵でした。

偶然見つけたボタン屋さんで、SAWAさんが貝で出来たボタンを見つけ、購入。

カラフルで美しいこのボタン、日本で買うよりは安かったらしく、
SAWAさん思わず全色買い。笑。
何度も並び替えては、一人でニマニマしてました。

またしばらく歩いて行くとヴェッキオ宮殿が見えてきました。

14世紀の始めにフィレンツェの政庁舎として建築されたらしい。
かつてメディチ家もここを住居としていたんだそう。現在は市庁舎として使用されています。

ここを通り過ぎると、いよいよお目当てのウフィツィ美術館へ。

やはり人気の美術館だけあって、入場するのに長蛇の列ができていました。
結局入るのに40分ぐらい並びました。

この階段を上がっていくと、展示室の始まりです。

ウフィツィ美術館は、近代式の美術館としてはヨーロッパ最古の美術館なんだそう。
もともとは15世紀に政庁舎として建てられたので、ウフィツィ(office)という名前がついたのだそう。
その後メディチ家の収集した美術品を保管するために改装し、やがて美術館となったらしい。

ここは、イタリア・ルネッサンス絵画の宝庫!

すごく見たい絵がたくさんあったのだけれど、中でも、ボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」と
「春(プリマヴェーラ)」。この2つはとても見たかった絵画です。

ボッティチェッリの絵を見ていると、絵の中から音楽が聴こえてくるような感覚に陥りました。
音楽的で、メランコリック。ほんと素敵だったな。

レオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知」。


フランスのプラグソケットを配線する方法

パリで「モナリザ」を見ても思ったんですが、この絵も遠方の景色がまるで現世ではない、
どこか異次元の場所を描いているような気がして、それが実に不思議な雰囲気を醸し出していると感じました。

今回ミラノには行けなかったんですが、いつかサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の「最後の晩餐」を見てみたいです。

そのほかにも、ミケランジェロや、カラヴァッジョ、フィリッポ・リッピなど素晴らしい絵画がたくさん!
駆け足で観てきたにも関わらず、結局2時間半ぐらいここにいてしまった。

このウフィツィ美術館からヴェッキオ橋が見えました。

この橋は、イタリア語で「古い橋」という意味があり、文字通りフィレンツェで最古の橋。

川の増水などで何度か再建されたらしいけど、
ナチスドイツ軍の地雷による爆破を唯一免れた橋でもあるのだそう。

美術館を後にし、早速このベッキオ橋に行ってみました。

 

メディチ家が繁栄していた時代に、この橋の使用権を金細工師に与えたらしく、
その名残で今でもたくさんの金細工のショップが軒を連ねていました。

この橋を渡ってしばらくすると見えてくるのが、ピッティ宮殿。

もともとはトスカーナ大公の宮殿として使用されていた、壮大な建築物。
今では、ここも美術館として一般にも公開されています。
しかもこことウフィッツィ美術館とは、ヴァザーリの回廊を通じて結ばれているんだそう。

残念ながら訪れたのが遅い時間で、中を見ることは出来ませんでしたが、
それまで見てきた場所がもうすでに素晴らしすぎたので、残念だとは思いませんでした。
けっこう歩きまわって、ヘロヘロだったし。

夕方になって、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会の前の広場へ。
この教会はレオナルド・ダ・ヴィンチが3年間暮らし、ここで「モナリザ」の制作を行っていたという場所。

入場できる時間帯を過ぎていて、中には入れませんでしたが、夕暮れ時のまったりとした時間帯に、
この広場では人々がそれぞれ思い思いにのんびりくつろいでいて、なんともピースフルな雰囲気でした。

段々と日が暮れてきて、少しずつ涼しくなる風を感じながら、のんびりとヒューマン・ウォッチングを楽しみました。

そして夜が近づくに連れ、お腹も減ってきました。

イタリアに来てから、食事のハズレがほとんどないぐらい、イタリア料理がとても美味しくて、
大満足の日々でしたが、2週間も食べ続けているとさすがに飽きてきた。


そんなふうに思っていたら、なんと日本人経営のラーメン屋さんを発見!!
Via de' Banchi(バンキ通り)にあるので、「番気らーめん」という店名。

 

しょうゆラーメン&味噌ラーメンにチャーハン、餃子と黄金のオーダー。
久々の日本の味に大感激でした。

店内には、日本からの留学生らしき学生さんがたくさんいらっしゃって和やかな雰囲気でした。
この街でイタリア語を習いながら、伝統手工芸品の職人や料理人を目指してやってくる方々も多いのだそう。

短期の観光旅行でフィレンツェに来てたら、きっとイタリアンばかり食べまくるだろうから、
フィレンツェでラーメンを食べたことは、ある意味貴重な経験でした。

そんなこんなで、1日でフィレンツェの街をけっこう堪能しました。
ヨーロッパ屈指の観光地だけあり、確かにここは美しい「屋根のない博物館」でした。

ここでは、景観を損ねるからという理由で、新しい建物を安易に建てたり出来ず、
リノヴェーションをすることも、法律的にも、金銭的にも本当に難しく大変なことなんだそう。

そして気付いたこと…。

そうか、この街は京都に似ているんだと思いました。

古い街並みや景観を大切に保存し、伝統工芸を今に伝え、その文化や歴史に誇りをもっているところ。
フィレンツェのたくさんの壮大な教会は、京都の神社やお寺にあたるんだと思えました。

調べてみると、実際にフィレンツェと京都は姉妹都市だったのです。

そう考えると、なぜフィレンツェが日本人観光客に特に人気があり、
友人たちが皆、口をそろえて「素晴らしかった」と言っていた答えが見つかったような気がしました。

(続く…)

YUTAKA


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